ブログ選集

分岐点。

以前からアプローチをかけてくれてた同業者。
何回か店にも来てくれてて、HPやブログも見てくれてたよう。
そこで仕入れた「岩永像」を膨らませ、会ったこともないときから、
「岩永さんならどう思うのか・・・」って考えながら日々仕事したり他店を見たり。
かなりの妄想マニアかと思いきや(笑)いたって真面目なオーナーシェフ。
もちろん一緒に働いたこともありません。
基本、自分が興味を持たないものには極端に無関心な僕ですが、
ここまで思い入れを勝手に持たれては、無視するわけにもいきません。
ですので一度だけ、お店に顔を出しました。
横浜になるのかな?
もちろんアポなしです(笑)
そのときから「次回、大阪に行ったときには是非・・・」とお願いされてました。
とにもかくにも、ゆっくり話がしたいとのこと。
中途半端ならピクリとも動きませんが、オファーが半端ないわけで(笑)。
「想いには想いで」が僕のモットー。
再三来阪のスケジュールを狂わせてしまった挙句の本日でした。

場所は、肥後橋「ルール ブルー」さん。

自分は平気で遅れるくせに、待つのは嫌い。
早く着いたら段取り重視。
ゲストがまだやのに、注文完了(笑)
だって、「時は金なりっ!」ですから。・・・・お前が言うなって?
お酒の飲めないスタッフを同行してたので、お水をお願い。

あ、いたの?先に入ってるとは思わず、外で待ってた様子。
そうかな・・・と思って見に行かせて正解です。
そういや連絡先、教えてなかったね。聞いてもなかったし(笑)
ゲストが着いたところで、「ようこそ!大阪へ!」

ま、細かい話はさておき、飲むときは飲んで、食べるときは食べましょう!

熊本産特選馬肉のカルパッチョ仕立て 柚子胡椒の香り
フレッシュ、ドライ、粉末の、3種のトマトを添えて

味わって食べたいとこですが、チマチマ食べるのはここの空気ではありません。
ガバッといただき、口いっぱいの馬肉の間に柚子胡椒の刺激が鼻にツンと。
3種のトマトは時間も味も差をつけて、代わる代わる楽しませてくれます。

ホタルイカ ズワイガニ ミル貝 ホタテ貝 の入ったシーフードサラダ
グレープフルーツとプチマリンと共に

サラダの森の中には魚介がてんこ盛り。
主役級の食材同士が脇を固める豪華布陣。
それぞれがちゃんとそれぞれで、役割も明確且つ的確。
遊び心の下に見え隠れする、圧倒的な「仕事」の厚み。

熊本直送 朝市野菜のバターソテー

自分も食べたいが、初めて連れてくるゲストには必ず食べさす逸品。

和歌山産ヒラメのバターソテー ウニ ズワイガニ ホウレン草のバター蒸し添え
オマール海老風味の軽い泡のソース

泡の海にその巨体を預けたヒラメちゃんの下には、ウニやらズワイやら・・・。
こういうのをサラッと出してきますが、本当に一皿としてのバランスが絶妙。
唸るほど「的確」です。

シャラン産鴨胸肉の炭火焼 赤ワインソース
フォアグラのソテー アスパラ ハナビラダケのロースト レンズ豆の煮込みを添えて

有無を言わさず「旨い」。
しみじみと「フランス料理食ってるなぁ・・・」って幸せに包まれます。
が、そこに古さの欠片も感じない。
今、南條シェフによって作られた、紛れもなく「今」の料理。
クラシックとは古いということではなく、
確立されたカテゴリーであることを再認識させられます。
毎度、惚れ惚れするほど美しいソース。拭うパンがあればなぁ・・・。


オーストラリア産仔羊の背肉の炭火焼 フォン ド ヴォー トマトのソース
じゃがいも マッシュルーム ベーコン トマトのオーブン焼きを添えて

早々と「足りないかも」と思って追加しといた一品。
もちろんそこはゲストに選んでいただきました。
かなりの羊好きだということ。良かった、追加して(笑)

自家製プリン

エスプレッソをダブルで。

以前にも書いたことがあると思うんですが、
よくされる質問の一つに「なぜ、このスタイルで貫けたのか?」ということがあります。
先日も一年前にセミナーに行った韓国から、店に電話があったところ。
「話を聞いて頑張ろうと思ったんですが、何も変わらないまま1年経ってしまった・・・」と。
今回、横浜から来てくれたパン屋さんも同じ。
やりたいことと現実。そのギャップへの歯痒さや憤り。
「やりたいことをやりたくて独立したけど、地域性や生活のことを考えると・・・」
大体みんな同じセリフです。
考えてみたら、誰にも「やったらダメ!」とは言われてないわけですから。
何もやらないでグダグダ言ってても始まりません。
やってもいないことに対する議論は所詮仮説でしかありません。
その仮説に足止めされてるくらいなら、やらないほうがいいでしょう。
駄目だった時にするのは、無様な言い訳くらいでしょうから。
「あの時、止めときゃ良かった」・・・とかね。
不安要素ばかり並べるのは、
僕には失敗した時の言い訳作りや同情集めにしか聞こえないんですよね。
先の見えないものに踏み込むのに、
成功する要素を探してみたって見つかるわけありません。
要素が揃わなきゃ動けないヤツは、一生動けないと思います。
待ってて揃うもんじゃなく、自分で動いて揃えていくもんです。
「こうしたからこうなる」、そんな簡単なものじゃないですよね。
成功に繋がる方程式なんてあれば、みんなやってるでしょ。
自分が安心できる答えを導きだす方程式ばかりを探していたって、
根付いた不安要素を払拭できるわけでもあるまいし。
言葉で固められた安心なんて、突きつけられた現実の中では全くの無力。
でもねぇ・・・・本当はもっと前に原因があると思うんですよ。
だって、「自分はこれで勝負するんや!!」って定めるために修行時代があるんでしょ?
いろんな事情や環境が変化していくことなんて安易に想像できたはず。
思うように行かなくなることがあるなんて、わかってたことじゃないですか。
苦しくなったり、志がブレそうになったり、心が折れそうになったり、
そんなときにしがみつき縋りつくもの、自分の芯になるものを掴むための期間に、
はたして手の中にしかと掴んだものがあったんでしょうか。
掴むための日々を送ってきたんでしょうか。
その辺の過ごしてきた時間の厳しさが、この業界はとてつもなく緩いんです。
労働時間が長いだけで「頑張った」「努力した」と穿き違えてしまい、
いざ自分で何かしなきゃいけなくなったとき、何もない自分に気づくんです。

よくスタッフにも、「いつ笑いたいの?」って問いをします。
今笑っていたければ、笑って働ける所に行けばいいんです。
その代り、いづれ泣くはめになりますけどね。
笑いたい時がもっと先にあるのなら、泣かなきゃいけない時もあるんです。
僕は、自分が笑いたいときに後悔や言い訳をせずに、ちゃんと笑っていたかったから、
それ以外の期間、涙をこらえながら、歯を喰いしばりながら、やってきました。
なんのために?笑うために泣いてきたんです。
今も笑って先も笑いたいなんて虫が良すぎます。
その逆に、泣いてきたヤツは、ちゃんと笑わなあかんのです。
笑いたい時や場所は人それぞれ。
ただ、笑うその日のために、どれだけ泣いてきたのか。どれだけ泣いてこれたのか。
僕がよくする「代償と報酬」の話に近い話ですが、
人生において、代償を払わずにして報酬は得られないということです。
僕らの代償とは、時間や労力ですね。
そしてその報酬とは、差し出した代償の大きさ重さに確実に比例していくんです。
何もしてないくせに、得る報酬の少なさを嘆いてる人をん多々見受けますが、
そこを嘆く前に、自分が差し出した代償が、
その程度のものだったことを自覚すべきなんです。
嘆くのは報酬の少なさではなくて、差し出した代償の少なさの方なんです。
さっきの笑顔と涙の話も一緒です。
今、笑って歩けてない人も、笑って歩けてない今を憂うより、
笑って歩くために何をしてこれたのか考えるべきやと思います。
もちろんそれらは抽象的な例えであって、
泣かなあかん時期は笑ったらあかんとか、そういうことじゃないですからね、念のため。

分岐点で迷っていても、なかなか答えは出るもんじゃありません。
ようは、その分岐でいちいち迷わないで済む過程を経て来なきゃいけなかったんです。
でももう過去のことを言っても仕方ありません。
じゃあ、どうしたらいいのか。もう無理なのか。結局あとは自分次第。
足りないものは補うしかないんです。何倍も考えて補うしかないんです。
やってこなかったことを嘆く暇があるのなら、補う術に死力を尽くすべきです。
経営なんて、どこにも保障はありません。
「大丈夫」なんて軽く言えるもんじゃありません。
軌道に乗ったからどうとか、潰れたからどうとか、結果は紙一重です。
それより、自分が決めたことに対する覚悟。
決断を、絶対良い結果に結びつけるんだ!っていう、
想いを貫くことのへの揺ぎの無い覚悟。
物事を成し得るのに一番必要なのは、
僕はね、成し得るまでやり遂げることやと思うんです。
並はずれた才覚を必要とすることなら別ですが、
所詮僕ら一般市民が思い描くレベルのこと、実現できないはずがありません。
でもやはり成し得た側と、成し得れなかった側に分かれます。
その区分は簡単で、
途中で投げ出し人が成し得なかった人で、
成し得るまでやり遂げた人が、物事を成し得た人なんです。
ただし、かかる時間はもちろん一定ではありません。
ですから、成し得るまで頑張れるのかどうか・・・、頑張るのかどうか・・・、
そのやり遂げる覚悟が必要やと思うんです。
もちろん生活もありますし、趣味でやってるわけではありませんから、
二の足を踏む気持ちもわからないでもありません。
でもね、どっちにしても経営なんて一寸先は闇ですからね。
安全な運営方法なんてあれば教えてほしいくらいです。
経済評論家さんたちが不況の原因を理路整然と並べてますけれど、
彼らが述べてることだって多くは結果論でしょ?
起こった原因を起こってからあたかもわかってた風に偉そうに解説されたって、
じゃあ、そうなる前に言ったら?って思うんですよね。
そりゃ反省し、繰り返さないための分析は必要ですが、
その前に今の現状を打破することが先でしょ?
結局、景気が回復した後で、またもっともらしく回復した要因を語るわけです。
経済のプロにだって、先のことなんてわからない世の中です。
経営だって一緒でしょ?先のことなんてわかりません。
決めるのは自分です。
どうなるかわからない結果に対して、自分が責任を持てるのか。
その責任を躊躇なく背負えるような「今まで」を過ごしてきたのか。

僕は幸か不幸か、これしか出来なかったんです。
選択の余地は、すでに修行時代に消しながら歩いてきました。
自分が勝負する時に、迷わぬ一本の道になっているように・・・。

どれだけ情熱を語ったって、
どれだけ憤りをぶつけたって、
何もしなきゃ何も思ってない人らと一緒です。
結果とは、用意されてるものではなく自ら作り上げていくものです。
簡単なものなんて何一つありません。
「儲かりそうやから」と売れてる業種に手を出してコケた経営者なんて万といます。
自問自答しなきゃいけないのは、成功と失敗の要素集めではなく、
自分がしたいことはなにか、
どこまで本気なのか、
やり遂げる覚悟があるのか、
単なるエゴではないのか、
それを遂行する意義とは何か・・・・。
何度も何度も自らの心に問いかけることです。
私利私欲のためや、自分を誇示することが目的のビジネスは、
どんな業種であれ、早かれ遅かれ衰退するものです。
ただ、誰かが幸せになるような、誰かを幸せにするような、そんな素敵な商売なら、
大勝ちは出来ないかもしれませんが、
きっと世の中に必要としてもらえるんじゃないか・・・そう思うんですよね。
それくらいなら、信じたっていいんじゃないですか?
そんな日が来ることくらい、信じて頑張ったっていいんじゃないですか?

人の評価や時代の流れ、ころころ変わることばかりに目を向けず、
変わらない自分を信じれるのなら、
人生一度きり、信じきってみてはいかがでしょうか。
分岐点で選ぶ道は、おそらくどっちを選んだって良いんですよ。
人生、答えは一つじゃないはずですから。
正しい方なんて、最初から決まってることじゃないと思います。
ようは、自分で選んだ道を、自分で正しかったと思えるような生き方を、
これからしていけるかどうかなんじゃないでしょうか。
「あっちにしとけば良かった」「こっちにしとけば良かった」、
脇見をしながらそうのたまう人間は、
おそらくどっちを選んだって同じ事を言ってるものですよ。
後悔せず歩く人間は、
もう片方を選んでいたとしても、きっと後悔せずに歩いていくんです。
自分を信じて歩けない人間に、
自分が選んだ道すら信じきれない人間に、
周りやお客さんが着いてこれるわけがありません。
悔いのないよう選び、そして選んだのならその道を、
悔いのないよう必死で歩いて行く。
あたかも選ぶことこそが重要で、
それで是非が決まってしまうかのように考えてしまい、
結局選ぶことも出来ないか、もしくは全てをそこでの選択のせいにしてしまいがちですが、
選ぶことよりも、選んでからの方が大事なんやということが、
細切れになりながら8時間近くかかって書いた今回の結論になりました(笑)
途中、意識朦朧となったり、前後の脈略がわからなくなったり、
「あれ・・・何について書いてたんやろ・・・」ってなったり、
読み苦しい点が多々あるかと思われますが、無い頭を振り絞って書いてみました。
何卒、大目に見てやってください。
あ~・・・疲れたぁ・・・。
読んで下さった方も、お疲れ様でした~。